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【NHK大河ドラマ】「どうする家康」第43話ネタバレ!ついに関ケ原の合戦!

【NHK大河ドラマ】「どうする家康】ネタバレ! 「どうする家康」
出典:公式サイト
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松本潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」第43回「関ケ原の戦い」が放送されました。

ついに関ケ原の戦い!

真田の罠に嵌まり、秀忠ら主力軍が来ない!

圧倒的に数では不利の家康はどうする?

天下分け目の大戦が始まる!

「どうする家康」第43回「関ケ原の戦い」をネタバレありでどうぞ!

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「どうする家康」第43回「関ケ原の戦い」

関ケ原の合戦が始まる!

1600年、徳川家康(松本潤)石田三成(中村七之助)は一里を挟んで睨み合いを続けていた。

天か分け目の大戦が始まる。

大坂城では茶々(北川景子)が息子の豊臣秀頼は出陣しなくてよいのかと西軍総大将である毛利輝元(吹越満)に聞いていた。

三成からは秀頼出陣の催促が矢のように来ており、秀頼も戦場に赴く覚悟はできていると茶々は言うが、その時を見定めると毛利は答える。

「そなたが総大将の器かどうかが問われておる。機を見誤るなよ。」と茶々は毛利に言った。

北政所の想い

北政所(和久井映見)に匿ってもらっている阿茶(松本若菜)は自分を匿っていて迷惑がかからないかと聞いた。

どちらの肩をもっているわけでもない。元を正せば豊臣家中の喧嘩と北政所は答え、「豊臣家中と徳川が一体となって天下を治めていくのが最も良いと考えている。」と阿茶に言った。

それを聞いた阿茶は「北政所様、お願いがあります。」と申し出た。

まだまだ続く調略

徳川本軍3万の兵を預かった徳川秀忠(森崎ウィン)の軍は三成の策略に嵌まり、信濃の上田で足止めを食らわされた。

本軍が到着していないのは敵も同じであったが、これで秀頼と毛利が3万の軍を連れて三成勢に付けば、この戦は危うい本多忠勝(山田裕貴)は言う。

家康は黒田長政(阿部進之助)に調略の具合を聞く。

すでにこちら側についている吉川広家を通じて小早川秀秋(嘉島陸)と毛利輝元には調略を繰り返しているが最後に蓋を開けてみるまでは分からない。

それを聞いた家康は小早川に何枚も文を書き、各陣所に小早川はすでに家康側についていると言いふらすよう井伊直政(板垣李光人)に申し付けた。

三成の陣でも小早川がすでに家康側についたという噂が入ってきていた。

それでも三成は秀頼と毛利の3万の軍勢が加われば誰も寝返ることはできないと自信満々だった。

家康の作戦

家康は秀忠の本軍を諦めると決めた。

三成たちのいる大垣城を放って、大谷吉継(忍足修吾)のみがいる西の関ケ原を攻める。

そうすれば三成たちは城を出て追ってくる他なく野戦に持ち込める。

だが、三成に後ろを塞がれ小早川や大阪からの軍勢が敵に加われば袋の鼠だ。

家康はそれが三成の狙いであることも分かっていた。

それでも「大軍勢を率いるとは思い通りにはいかぬもの。」と家康は言う。

急に降ってきた雨を見て、「この空模様、大高城の兵糧入れを思い出すのお。」と言った家康は立ち上がった。

「決戦の地・関ケ原へ!」と忠勝が言い、「いざ!出陣!」と直政が続いた。

進軍

家康が西へと進軍を開始したと三成の陣に知らせが入る。

三成は家康が自分の作戦に食いついたことを喜ぶ。

だが、同時に小早川が松尾山に勝手に陣を敷いたとの知らせも入る。

小早川はどちらにも転べるように最後の最後まで見極めるために松尾山に陣を敷いたと見られる。

三成は大谷刑部に小早川から目を離さないように伝えるように言い、自分たちも出陣する。

布陣

家康が陣を敷いたのは桃配山。

それを守るのは徳川軍最強を謳われる本多忠勝、前線の平野には徳川の赤鬼・井伊直政、更には猛将・福島正則(深水元基)東堂高虎黒田長政などの歴戦の猛者たちだ。

それを迎え撃つのは笹尾山に三成・その脇に鬼の島津義弘、天満山には小西行長(池内万作)宇喜田秀家(柳俊太郎)、その南には大谷刑部、松尾山には小早川秀秋

そして南宮山には吉川広家率いる毛利軍に長宗我部

三成軍は、まさに徳川勢をぐるりと囲む形で布陣することに成功したのだ。

三成は形の上では我らが勝ちだが、小早川の動きを懸念していた。

秀頼と毛利の軍が着けば勝利が見えてくる島左近(高橋努)は言う。

皆の心

霧が晴れなければ何も出来ぬと忠勝と直政は家康のいる本陣に戻ってきていた。

見事にぐるりと取り囲まれ、このままではここが我らの果てる地だと言いながらも家康は不思議と気分は悪くない。と言い、忠勝や直政も同意した。

家康は先に逝った者たち、今は遠くにいる者たち、皆の心がここに集まっていると感じていた。

「皆と共におる。」という家康の言葉と共に霧が晴れてきた。

忠勝と直政は戻ることにした。

福島が先陣を切ると息巻いていることから「先陣は徳川でなければならぬ。」と直政は自分にお任せを。と家康に言った。

直政に先陣を命じた家康は「思う存分、暴れて参れ!」と声をかけた。

出発する前に直政は「おいらを家臣にしてよかったでしょ?」と家康に聞き「ああ。」と答える家康に「おいらもです。取り立ててくださってありがとうございます。」と頭を下げて出て行った。

開戦

直政が先陣を切り、それに福島が続く。

だが戦いは地の利を生かした三成勢が優位に進めていた。

小早川はまだ動かなかった。

戦の成り行きを見守る小早川は今のところは五分と五分と見ていた。

吉川広家が徳川の背後を突けば小早川も動かざるを得ないと左近は見ていた。

渡辺守綱(木村昴)吉川が背後から攻めてきたらどうするかと家康に聞いた。

毛利は吉川ら家臣はおろか小早川もまとめきれていない。調略の成果を祈るばかりだと家康は答えた。

そのころ三成の元には吉川が腹ごしらえだと言い、動かないとの知らせが入る。

吉川が動かぬため、その後ろの長宗我部も動けないのだ。

北政所の遣い

なぜ秀頼を出さぬのかと息巻いている茶々の元に北政所の遣いが来たとの知らせが入る。

その遣いとは阿茶だった。

徳川の側室が乗り込んでくるとは何と豪胆なと茶々は驚いた。

阿茶は命を絶つ覚悟でここに来たと言う。

阿茶は「要らぬお世話かと思いましたが北政所様も同じお考えでしたので。」と前置きし「秀頼様におかれましてはこの戦にお関わりにならぬ方がよいかと。」と茶々に言った。

「徳川の調略はかなり深くまで進んでおり、勝負も決する頃合い。

毛利殿が未だご出陣なさらぬのがその証。

我が殿は信用できるお方。

秀頼様を大切にお守りできますので、どうぞお身を徳川にお預けくださいませ。」

阿茶の言葉に茶々は「それは過ぎたる物言いじゃ。身の程をわきまえよ。」と扇子を阿茶に向ける。

それと同時に阿茶に向かい刀を抜こうとする家臣たち。

片桐且元(川島潤哉)がその場を収めると茶々は「なかなかハッタリが上手いようじゃ。秀頼を案じてくれて礼を言うぞ。」と笑顔で言った。

「どういたしまして。」と返す阿茶に「誠に不愉快なおなごよ。二度とお見えにならぬがよろしい。」と茶々は言う。

「帰り道には気を付けよ。」と笑顔で言う茶々に「ありがとうございます。」と阿茶は笑顔であたまを下げた。

家康の決断

家康には小早川と吉川が動かないことが報告された。

ここが勝負どころと見た家康は2万の主力を三成の目と鼻の先に押し出した。

それを見た三成は「面白い。」と呟き「総がかりじゃ!家康の首を取れ!」と命じた。

家康自ら敵のど真ん中に来たことで三成軍は怯み、家康軍は士気が上がっていた。

小早川の決断

家康は松尾山の方を見て「決断する時ぞ。小早川。」と呟く。

小早川は「我ら小早川勢、山を下り一気に攻めかかる。」と家臣に命じる。

「目指す敵は…大谷刑部!」と指示をした。

決着

三成軍が逃げ帰っていく。

「おめでとうございまする。」と忠勝ら家臣が家康に言った。

「皆、大義であった。」と家康は労う。

その時、島津勢が向かってきているとの知らせが入る。

家康は放っておけばよいと言うが直政勢が討ち取ろうとしているのだ。

忠勝が構うなと伝えに行くが、直政は銃弾を受けてしまう。

関ケ原後の三成勢

毛利輝元は徳川方との交渉の上、大坂退去・減封。

宇喜田秀家は改易・配流。

上杉景勝は減移封。

真田昌幸は高野山配流のち紀伊九度山に蟄居。

小西行長は京・六条河原にて斬首。

大谷刑部は自害。

島左近は行方知れず。

石田三成は敗走。

天下を取った

銃弾を受けた直政を家康が手当てする。

直政は起き上がり「ついに…ついにやりましたな!天下を取りましたな!」と言った。

「信長にも秀吉にもできなかったことを殿がおやりになる。これから先が楽しみだ。」と直政は笑った。

家康と三成の最後

捕らえられた三成が家康の元へ連れてこられた。

「戦無き世に出会いたかった。さすれば唯一無二の友となれたはず。

このようなことになったのは行き違いが生んだ不幸。甚だ残念である。」と家康は言う。

「これは豊臣の天下の為に成したこと。その志今もって微塵も揺らいでおりませぬ。」と三成は言う。

「何がそなたを変えた?共に星を眺め語り合ったそなたは確かにわしと同じ夢を見ていた。これから共に戦無き世を作っていくと思っていた。それがなぜ、このような無益な戦を引き起こした?死人は8千を超える未曽有の戦ぞ!」

「何がそなたを変えてしまった?わしはその正体を知りたい。」と問いかける家康に三成は笑った。

「思い上がりも甚だしい。私は変わっておりませぬ。私の内にも戦乱を求める心が確かにあっただけのこと。それは誰の心にもある。」

「ご自分にないとお思いか?自惚れるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは私であり、あなただ。そしてその乱世を生き延びるあなたこそ戦乱を求める者。戦無き世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」

三成の言葉に「それでもわしはやらねばならぬ。」と家康は答えた。

その後、石田三成は京・六条河原にて斬首となった。

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「どうする家康」第43回「関ケ原の戦い」感想

関ケ原の合戦

ついに関ケ原の合戦が開戦し決着しました。

関ケ原で小早川秀秋が西軍から寝返ったのが勝敗の分け目だったという知識はありましたが、吉川広家への調略が上手くいき、吉川が動かなければ後ろの長宗我部も動けなかった。

そして毛利輝元も吉川が家康とすでに結んでいることを知り、戦に出るか決められなかった。

三成側も毛利と秀頼の本陣が来れば小早川も寝返ることもないと踏んでいたが、それも叶わず小早川は寝返った。

やはり調略が物を言った戦でした。

それとおとぎ話と言われた桶狭間から始まり、三方ヶ原・設楽原・小牧長久手といくつもの戦を戦ってきた家康の方が上手だったということでしょうか?

茶々 VS 阿茶再び

阿茶は北政所に頼み、茶々の元に乗り込みました。

茶々 VS 阿茶の女の戦いが再びでした。

怒り心頭の茶々に冷静に返した阿茶の勝利ですかね?

家康と三成

関ケ原から敗走した三成。

捕らえられた三成と家康の最後の会話。

家康の言う通り、戦の無い世だったら本当に分かり合えた2人だったかもしれないです。

あの一緒に星を見た2人なら…。

三成は自分は何も変わっていない。戦を求める心が誰しもある…それは戦乱を生き抜いた家康こそがそうだと。

戦の無い世などまやかしの夢…と言ったけど、徳川幕府が誕生してからの世界も三成に見てほしかったですね。

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