松本潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」第44回「徳川幕府誕生!」が放送されました。
ついに徳川幕府が誕生!
大人になった秀頼は作間龍斗!
大坂で反撃の機会をうかがうのは…
「どうする家康」第44回「徳川幕府誕生」をネタバレありでどうぞ!
「どうする家康」第44回ネタバレ
秀頼への報告
関が原で石田三成(中村七之助)の大軍を破った徳川家康(松本潤)は大坂にて豊臣秀頼に戦勝報告をした。
「家康殿はそなたの新たなる父と心得なされ。」と秀頼の母である茶々(北川景子)が言う。
「天下の政は引き続き、この家康が務めます。何卒よろしくお願いいたしまする。」と家康は頭を下げた。
毎年、秀頼の背丈を柱に刻んでいることを話した茶々は「あと10年もすれば太閤殿下に追いつこう。さすれば太閤殿下の果たせなかった夢を秀頼が果たすこともできましょう。」と言い「それまでの間、秀頼の代わりを頼みまする。」と家康に頭を下げた。
そして、同行していた徳川秀忠の娘で家康の孫である千姫が幾つになったかを聞く茶々。
「4歳になりました。」と秀忠が答えると「姫と秀頼の婚儀、太閤殿下のご遺言通り、しかと進めましょう。両家が手を取り合うことが何より大事ですからな。」と茶々は言う。
家康と秀忠が部屋を出ると茶々は「分かっておるな。あの狸、決して信じるでないぞ。」と秀頼に言い、秀頼も「はい。」と返事をした。
一方の秀忠は茶々が秀頼と千姫の婚儀を進めることは豊臣と徳川が結ばれることを望んでいるからだと安心していたが「人質を早くよこせと言っておるんじゃ。」と家康が茶々の言葉の意味を教える。
将軍を目指す
本多正信(松山ケンイチ)は家康に「いっそ将軍になる。というのは?」と提案される。
「幕府を開けばやれることは増えましょう。」との正信の言葉に徳川は武家の統領で豊臣は公家、棲み分けられるかもしれないと家康も考える。
母と息子
伏見城では家康の母である於大(松嶋菜々子)と北政所(和久井映見)が楽しそうに話していた。
北政所が帰った後、家康に都へ招いてもらったことにお礼を言う於大。
「すまなんだな。国のために全てを打ち捨てよ。そんなことばかり言ってきた。」と於大は謝る。
「されど、それが正しかったかどうか。戦を怖がって逃げ回っていたころの方が、そなたにとっては一番…」と言った於大は「もう捨てるでないぞ。そなたの大事な者を大事にしなされ。ひとりぼっちにならぬようにな。」と家康の煎じた薬を飲む。
「苦い薬だこと。」と言いながら於大は涙を流した。
この3月後、家康に看取られながら於大は生涯を閉じた。
徳川幕府!
1603年、家康は征夷大将軍に任じられ、徳川幕府を開いた。
新しい世を築くために戦以外に秀でた者を抜擢した。
その中にはウィリアム・アダムス(村雨辰剛)の姿も。
若き知恵の優れた者を多く登用したことで泰平の世を担う才能が続々と集まっていた。
家康は正信の息子・本多正純(井上祐貴)に「そなたはイカサマ師の息子とは思えぬ律儀さよの。」と声を掛けた。
「ああなってはならぬと躾けられてきました。」と正純は答える。
忠勝と康政
本多忠勝(山田裕貴)は自分の姿を絵に描かせていた。
自分が死んだ後も睨みを利かせるようにと強そうに見える絵に何度も描き直させていた。
そこに榊原康政(杉野遙亮)が訪ねてきた。
関ケ原の褒美について福島正則ら豊臣温故の大名に多くの所領を与えてやらなければならなかったのが道理と話す康政に忠勝はだからこそ桑名に移ったのだと話す。
それは西に睨みを利かせるためだった。
そんなことを話す忠勝に「だが、もう我らが働ける世ではないのかもしれんぞ。」と康政は言う。
家康の元には若き才能が集まってきている。
戦無き世を作る若き力だ。
康政は秀忠に指南することが最後の務めだと考えていた。
「戦に生きた年寄りは早く身を引くべきだ。お主もわかっておろう。」と康政は忠勝に言った。
「関ケ原の傷が元で死んだ直政は上手くやりよった。」と忠勝は言う。
大坂に嫁ぐ千姫
家康の元に孫の千姫が来る。
秀忠の妻であり茶々の妹でもある江(マイコ)が追いかけてくる。
千姫は秀頼の元へ行くのを嫌がっているのだ。
「あちらのお家は怖い。」と言う千姫は「茶々お姉さまは怖い。何を考えているか分からぬ。」と江がいっているかだと家康に言った。
江は二番目の初という姉もそばにいてくれると千姫に言うが「おじじ様のそばにいとうございます。」と家康に言う。
「そなたはわしの孫。徳川の姫じゃ。それを片時も忘れるでないぞ。何かあれば、じじがいつでも駆け付けよう。」と家康は千姫に言った。
千姫が嫁いだ後、大坂には大野治長(玉山鉄二)が戻ってきていた。
茶々も治長が戻ってきたことを喜んでいた。
秀忠への叱責
家康が秀忠の元を訪ねる。
秀忠は「お千は大丈夫でしょうか?」と聞く。
「真っ先に聞くことが娘の心配か。身内の事しか考えぬ主君と思われるぞ。」と叱責する家康。
「関ケ原に遅れた時から何も成長しておらぬ。」と付け加えると「あの時も申し上げましたが、あれは私のせいではございません。私は精一杯急ぎました。」と秀忠は反論する。
「多くの兵を置いて、己の供回りだけで先を急いだ。」と言う家康に「少しでも早くと思い…」と秀忠は言うが「お前は全軍を率いて来なければならなかった。」と家康は激高。
「正信も康政もそうして良いと…」と言う秀忠に「人のせいにするな。全てお前のせいじゃ。」と家康は言い放った。
関が原は終わっていない
忠勝は家康に「戦しかできぬ年寄りはいらぬとお思いなら包まずに申されませ。直ちに隠居を。」と言う。
そこに康政が現れ「生涯最後の換言と思い、申し上げます。」と言い、家康も聞く。
「皆の面前であのようにお叱りになるべきではござならぬ。秀忠様の誇りを傷つけることでございますぞ。しかも関ケ原のことをいつまでも…。秀忠様には落ち度はないと何度も申し開きをしたはず。殿のお叱りようはあまりに理不尽。殿とてあのくらいの年の頃はどれだけ頼りなかったか…お忘れあるな!」と康政は言った。
「だが、わしにはお前たちがいた。左衛門、数正、鳥居の爺さま、皆がわしをこっぴどく叱り続けた。誰があやつをあのように叱ってくれる?わしは耐え難い苦しみも何度も味わった。あいつにはそれもない。」と家康は言う。
苦しみを知らないのは本人のせいではないし、悪いことでもない。これから時を懸けて様々なことを学ぶ…と康政と忠勝が言うが「それでは間に合わん。」と家康は答える。
家康は「関ケ原はまだ終わってはおらぬ。」と言うのだ。
関が原は所詮、豊臣家中の仲違いの戦であり、それが鎮まり再びひとつとなって秀頼の元に集まっている。
そして、敗れて改易・減封となった家中で多くの牢人があぶれている。
彼らが求める食い扶持は戦だ。
このまま秀頼が成長すれば、豊臣に天下を返すか、それとも…。
家康は忠勝に「隠居など認めんぞ。」と康政には「まだ老いるな。」と声をかけ「まだ、お前たちの力がいる。」と2人の肩を叩いた。
「手の焼ける主じゃ。」と康政は言い、「いつになったら主君と認められるやら。」と忠勝は言う。
将軍を譲る
家康は秀忠に「わしら上に立つ者の役目はいくら理不尽であろうと結果において責めを負うことじゃ。上手くいった時は家臣を讃えよ。失敗した時は自分が全ての責めを負え。それこそがわしらの役目じゃ。分かったか?」と説いた。
そして征夷大将軍を1年のうちに秀忠に引き継ぐと伝えた。
兄である結城秀康(岐洲匠)ではなく自分が選ばれたことに驚く秀忠。
「才があるからこそ秀康様を跡取りにはせんのでござる。」と正信が言う。
才ある将が一代で国を栄えさせ一代で滅ぶところを嫌というほど見てきた。
才ある将一人に頼る家中は長続きしない。
人並みな者が受け継ぐことのできる家こそ長続きする。
「偉大なる凡庸。」と正信は言った。
大坂では
大坂には秀忠に天下を譲ったという知らせが届いていた。
秀忠に譲ったということは天下は徳川家が受け継いでいくということだと秀吉との約定破りだと大野は怒る。
秀頼にも挨拶に来いと言ってきたことにも茶々は激怒していた。
最期
まだ絵を描き直していた忠勝の元に康政が訪ねた。
方々に挨拶に回っているだけと言う康政に「どこが悪い?」と忠勝は聞いた。
「はらわたじゃ。」と答える康政に「たわけ。まだ老いるなと言われたじゃろうが。」と忠勝が言う。
忠勝の指の傷を見た康政に「戦で傷ひとつ負わなかったわしが笑い種じゃ。」と忠勝は笑う。
「見えておらんのだろ?」と康政は聞く。
「老いには抗えん。無念だが我らはここまでのようじゃ。役目は終えたのじゃ。」と帰ろうとする康政を忠勝が止める。
槍を渡し「わしは認めん。殿を守って死ぬのがわしの夢じゃ。認めん。見届けるまで死ぬな!」と構える忠勝に康政も応戦する。
「やるではないか。大樹寺の小僧。」と言う忠勝に「お主もな。礼儀知らずのあほたわけ。」と康政は答え、再びやり合う。
一戦交えた後「認めておるのであろう?殿のことを主君とは。いつからじゃ?」と康政が聞いた。
「大樹寺。桶狭間の後。」と答える忠勝に「同じじゃな。わしと。」と康政も言った。
その後、1606年には榊原康政が、1610年には本多忠勝がこの世を去った。
秀頼19歳
そして、1611年。
秀吉の背丈を悠に越した秀頼は19歳になった。
「どこからどう見ても見事な天下人であることよ。」と茶々は「のお。お千?」と千(原菜乃華)に聞く。
「はい。母上。」と千も答える。
「さあ。宴の時じゃ。」と豊臣秀頼(作間龍斗)は言った。
家康は「時が満ちた。」と言い、立ち上がる。
「どうする家康」第44回感想
忠勝と康政…直政も!
忠勝と康政が最期を…。
そして直政は関ケ原の傷が元で死んでいたことが忠勝の口から語られました。
戦がなくなり、もう自分たちの役目は終えたと思っていた忠勝と康政。
だが、家康には「まだまだやってもらうことがある。」と言われたのに、老いには勝てなかった2人。
最後に槍を交えた2人。
2人が家康を主君と認めたのは大樹寺の時…とあの時の家康の姿を思い出した時には涙が…。
「主君とは認めん。」と言っていた忠勝が「道を開けろー!」と言った時に「少しは主君を認めたかな?」と思ったのですが、忠勝はあの時にしっかり主君と認めていたのですね。
もう、最初から出ていた家臣が…寂しすぎます。
秀忠に厳しい家康
秀忠に厳しすぎる家康。
関が原のことについては「まだ言う?」と康政同様に思いました。
ただそれは自分に叱り続けてくれた家臣団がいたが、秀忠にはいない。
その役目を自分がしている。
そして将軍を秀忠に受け継ぐつもりだったから、あえて厳しくしていたんですねー。
まあ秀忠を不安に感じるのも分かりますが…。
新しい顔も続々!
家臣団が続々退場する中で、新しい顔も続々と登場しました。
秀忠の妻であり茶々の妹である江役のマイコさん。
成長した千姫は原菜乃華さん。
本多正信の息子・本多正純は井上祐貴さんです。
父のようにならないようにと正純を育ててくれたのは大久保忠世でしたね。
最後の最後に成長した秀頼!
最後に登場した19歳になった秀頼はHi Hi JETS!の作間龍斗さん!
立派に成長した秀頼でしたが、現在出演中の「コタツがない家」に順基役がチラつき、めんどくさいポンコツなイメージが…。
次回からの立派な秀頼で順基のイメージを覆してほしいです。
家康が知る寅年の真実に爆笑
伏見城で北政所と話す於大。
まだ生きてたんですね~。
笑いながら卯年なのに寅年と偽ったと話す於大。
「いつまで寅年と思っておったっけ?」と聞く於大に「今の今まで…」と答える家康。
於大の笑い話で真実を知る家康に笑っちゃいました。
「どうする家康」次回は?
「どうする家康」次回は
家康と成長した秀頼の対面!
今川氏真も登場!
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